こんにちは。
初めまして。
似鳥と申します。
これから越後与板打刃物の後継者となるべく、水野鉋製作所に弟子入りさせてもらいました。
私がこの後継者育成プロジェクトを知ったのは、2020年6月にインスタグラムのストーリー(投稿したものが消えるやつ?)の中の広告です。3月に青年海外協力隊で行っていたタンザニアから帰国し、就職活動もしていたところで偶然広告が流れてきて、これは楽しい仕事に違いないと思った私はすぐに応募しました。
このプロジェクトでは2020年6月から8月にかけて水野鉋製作所内で選考会兼、体験会が開かれ、私は6月29日~7月1日にかけて3日間参加させてもらいました。体験会では鉋の製造を最初から最後まで一通り行い、鍛冶屋の仕事の大変さや楽しさを体験することができました。
その後8月28日にこのプロジェクトを支援している”ソラヒト日和”の堀口さんと、水野さんから合格のお電話をいただきました。この時は喜びとワクワクで胸がいっぱいでした。
9月29日に出身の北海道から新潟までフェリーで来て、電車と自転車で与板までやってきました。そして10月1日から水野製作所で修業が始まることになります。
この仕事を選んだ理由
私のプロフィールページにも記載した通り、私は高専から大学院で機械工学(大学院は航空宇宙工学システム専攻ですが。。)を学んだあと、某精密機器メーカーに3年半ほど勤め、その後青年海外協力隊としてタンザニアの大学に行き機械工学の先生として2年間ボランティアをしました。
“大学院まで出たのに職人だなんて”とよく言われますが、私としてこの選択は特に不思議ではありませんでした。
もともとモノづくりがしたくて機械工学を学んできたわけですが、前職ではやってみたかった部署に配属されず、また大きな企業では仕方のないことですが、仕事が縦に細分化されるのであまりモノづくりをしているという感覚を味わえず、悶々とした日々を送っていました。そこで新社会人はとりあえず3年勤めろというよくある教え?の通り3年勤め、その後転職をしようと思っていましたが電車の広告で青年海外協力隊の広告を見つけ、思いつくままに応募してみました。(よくよく考えると、広告に踊らされまくってますね。笑) 青年海外協力隊に無事合格しタンザニアで2年間過ごし帰国した後、やはり一貫したモノづくりを味わうには機械設備等を設計・製造する小さなエンジニアリング会社か、今回のような職人を目指そうかなと思っていました。
職人を目指すにはやはり直接工場に赴いて門を叩くのが良いかと思いましたが、今回の新型コロナウィルスの影響により各地に赴くのは断念し、インターネット上で問い合わせてみたりしましたが年齢制限で応募できないといったところもありました。そのため一度は職人になる道をあきらめ、上に書いたようなエンジニアリング会社に就職活動していましたが、ちょうどそのころ後継者育成プロジェクトをインスタグラムの広告を見つけ、これはもう運命だと一人舞い上がりすぐさま応募させて頂きました。
私個人としては、一貫したモノづくりができる仕事というのはモノづくりの醍醐味であると思っており、技術もない私を0から育ててくれる上に、最低限の生活ができるよう補助金も支給され、とても恵まれた環境に入らせていただいたと思っています。やりたいことをやらせてくれる上にサポートもある、これ以上ない贅沢です。
親からの反対派なかったですか?
これも与板に来てからよく聞かれますが反対はなかったです。というより、特に許可を取ったりせず、行ってくると伝えただけでした。その時も何も言ってこなかったので、これまでの私の言動から“止めても無駄だ”と思っているのかもしれませんね。笑
また大学院まで出させてもらってこんな仕事を。ともよく言われます。すべて国公立ですが、大学院までの学費は相当な金額ですし、とても感謝しています。私が自分の意志でやりたいことを一生懸命にやっていれば親は応援してくれるのかなと勝手に想像して、勝手にこの道に進むことを決めました。
あと子供のころは比較的厳しく育てられたのかなとも思いますが、おかげでこの修行がどれほど辛いものになろうとも余裕で耐えられると思うので、その点でも感謝しています。笑
これからについて
2020年10月から最長5年の修業期間になります。師匠は基本的に付きっ切りで指導に当たっていただけることになっており、通常一人前になるためにかかるといわれている10年、15年を贅沢な指導により特急で育成されます。
越後与板打刃物の後継者としては地域おこし協力隊として来ていた島田さんもおり、今のところ二人で越後与板打刃物の技術を繋いでいけるよう頑張ります。
これからこのサイトでは私がどのように成長していくかの記録を残していきたいと思っています。応援のほどよろしくお願いいたします。