伝統的工芸品、越後与板打刃物とは

 越後与板打刃物は新潟県長岡市与板町で生産される刃物で、主に大工道具を生産しています。越後与板打刃物は昭和61年に経済産業大臣(当時は通商産業大臣)による「伝統的工芸品」に指定されました。伝統的工芸品は鑿(のみ)、鉋(かんな)、釿(ちょうな)、鉞(まさかり)などの大工道具。与板独自の鉋の二本付け、鑿の二本どりなどの製法や、ペーパー車を使った研磨などが特徴です。
 技術を生かして包丁やナイフなども製造しています。

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鉞(まさかり)

斧の一つで、刃巾が広く、片側にくびれているものを鉞といいます。丸太を側面を削り落とし、角材にするために用いられます。

鑿(のみ)

日本の伝統技術である木組み(釘などを使わず木材を繋げ合わせる技術)などの加工に用いられ、木を彫る道具として不可欠のものです。尾部をハンマーでたたき使用する叩きノミ、両手で突いて使用する突きのみ等があります。

鉋(かんな)

板材・角材などを平らに削る道具として用られます。現代では木肌を美しく仕上げるため用いられ、きれいに削られた木肌は水をはじき、表面は鏡のように反射します。鉋の製造方法はこちらから

釿(ちょうな)

木造住宅の梁材の仕上げなどの、丸太や角材を粗く削る道具として用いられます。現代では削り痕が特徴的であることから、意匠目的でも使用されています。

400年の歴史

越後与板打刃物400年の歴史は、戦国時代にさかのぼります。
与板城主となった直江実綱(直江兼続の義父)が、刀鍛冶を連れてきて与板の地で刀づくりが始まりました。その後、大工道具の生産が始まり、土肥のみなどの名で日本中に広まりました。
職人さんたちの高齢化が進みましたが、後継者育成も始まり、伝統を絶やさないよう活動しています。

越後与板は金物どころ、鎚の音から夜が明ける

新潟県長岡市与板町は打刃物の町です。

与板の町は縄文時代中期ごろから人々の活動が始まりました。

打刃物は約400年前、戦国時代のころに始まりました。与板の小高い丘の上に築城されていた与板城城主、直江大和守実綱(のちの景綱で、天地人としてしられる直江兼続の義父)が戦国時代に春日山より刀剣師を与板に招いたのが起源と伝えられています。

その後の江戸時代中期、大工道具の生産が始まり、幾度にも及ぶ江戸の大火や、新田開発による需要の急増により建築用刃物の発展となりました。この頃与板で生産された大工道具は「土肥のみ(土肥助右衛門作)」・「兵部のみ」と呼ばれ、広く天下に知れ渡りました。

幕末から現代へ

幕末から明治の初期、与板の職人たちが東北随一の金物産地であった会津若松への出稼ぎに行きました。刀工の古川和泉守兼定の門弟に入るなどで技術を磨き、今日に続く技術を会得してきました。

昭和2年に与板金物共励組合ができ、組合員が117名いましたが、電動工具の出現などにより大工道具の需要は激減し、現在は約10軒にまで大きく減少しました。最も若い職人でも60代で後継者不足に悩まされていました。

そこで後継者育成として、2017年に地域おこし協力隊の制度を利用して島田さんが、2020年に市民団体”ソラヒト日和”の支援や、国・長岡市の補助金での支援により似鳥が後継者候補として修業に励んでいます。

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鉋刃・表
生地の写真

越後与板打刃物の特徴

 最大の特徴は鍛接による刃物づくり。
 日本独自の鍛接といわれる技法で鋼(はがね)と地鉄(じがね)が接着された素材は、比較的低温でじっくりと叩き鍛えられ、独特の粘りが与えられます。鉋では研ぎやすさを重視して明治時代以前に製造された古い鉄が地金に使用されることもありますが、その鉄の確保が難しくなっています。

生地(なまじ)とは

 研ぎやすいという性質を持つ“生地”とは明治時代以前に製造された鉄で、正式には錬鉄と呼ばれます。与板ではその研ぎやすさから鉋の地金に利用されています。炭素含有量(基本的に少ないほど柔らかくなる)が少ないが、不純物(非金属介在物)も多いのが特徴です。この鉄はパドル法と呼ばれる製法で精製された鉄で、現在の製造方法(ベッセマー法)とは異なり、不純物が多く含まれているのが研ぎやすさに繋がっているのではないかと考えられています。

 専門的な話になりますが、パドル法は反射炉の中で半溶融した銑鉄(鉄鉱石から取り出したままの鉄で炭素量が約5%と多くて硬く、加工に不向き)を炉に空いた窓から差し込んだ鉄棒で撹拌して、不純物を炉内の酸素と反応させて除去したものを、最終的に鉄棒に絡みつかせて取り出すことで鉄を精製します。とくに燃料に石炭を用いた反射炉では炭素含有量が0.02~0.05%と非常に少ない鉄になります。しかし精練が不完全で、不純物も含まれていました。ちなみに錬鉄で作られた有名な建造物はエッフェル塔です。

生地

鉋の2枚づけ

 生地を用いた鉋は研ぎやすいという特徴を持ちますが、古い鉄であるがゆえに鉋の銘が入る場所があまりきれいな表面になりません。また鉋を使用する際、刃の出方を調整するのに鉋の頭部(上端の丸くなっている箇所)を叩きますが、生地だと比較的柔らかくへこみやすいです。そこで生地の上の刃先側に鋼、頭側に極軟鋼(乗せ地)を用いることで硬い頭ときれいな表面を得ることができます。

 使う人のことを考えた良い鉋づくりを目指しています。

1枚付け
2枚付け

鑿の2本どり

与板の鑿は地金に2本分の鋼を乗せることで、鍛接した後に鑿を中央で切断し2本分取ることができる。この方法により効率よく製造することができる。

鑿の二本どり

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越後与板打刃物組合

越後与板打刃物組合は5件の鍛冶屋が加入しています。

水野鉋製作所

主な製品:大鉋・小鉋・槍鉋・ナイフ

船弘刃物製作所(外部サイト)

主な製品:鑿・大鉋・槍鉋 

中野鑿製作所

主な製品:鑿

小森小鉋製作所

主な製品:小鉋・大鉋

碓氷刃物製作所

主な製品:鑿(主にハイス鑿)

修行中:似鳥(水野鉋製作所)

主な製品:鉋・スクレーパー・ナイフ・南京鉋

鉋、鑿、鉞、釿の製造工程

越後与板打刃物の標準的な製造工程を公開します。

地金・鋼づくり

地金と鋼を鍛接しやすい形に整える

鋼付け

地金に鋼を鍛接する

火造り

鉋の形状に近づける

焼きなまし

前の工程で壊れた鋼の組成を改善する

ならし

形状を手鎚で整える

整形・仕上げ

銘などを打ち込む

焼き入れ

鋼の硬度を上げる

焼き戻し

硬すぎる鋼に粘りを与える

研ぎ

刃を出す

鉋の各部名称
鉋の各部名称を示した図
鉋の製造工程
鉋の製造手順を示した図

地金・鋼づくり

地金と鋼を鍛接しやすい形に整える

鋼付け

地金に鋼を鍛接する

伸ばし

鋼付けした地金を伸ばし、切断する

首込づくり

柄をつける部分の首込を形作る

穂づくり

刃先側の平坦な部分である穂を形づくり、鍛錬する

焼きなまし

前の工程で壊れた鋼の組成を改善する

ならし

形状を手鎚で整える

整形・仕上げ

刻印などを打ち込む

焼き入れ

鋼の硬度を上げる

焼き戻し

硬すぎる鋼に粘りを与える

研ぎ

刃を出す

   
鑿の各部名称
鑿の各部名称を示した図
鑿の製造工程
鑿の製造手順を示した図

地金・鋼・頭部づくり

地金と鋼と頭部を鍛接しやすい形に整える

頭部接合

頭部と地金を接合する

合わせ付け

鋼を2枚の地金に鍛接する

地金・鋼づくり

地金と鋼を鍛接しやすい形に整える

仕上げ

形を整える

焼きなまし

前の工程で壊れた鋼の組成を改善する

焼き入れ

鋼の硬度を上げる

焼き戻し

硬すぎる鋼に粘りを与える

研ぎ

刃を出す

鉞の各部名称
鉞の各部名称を示した図
鉞の製造工程
鉞の製造手順を示した図

ヒツ巻き

柄を入れる部分であるヒツを形作る

地ごしらえ

本体になる鉄を折り合わせる

胴締め

ヒツと本体を鍛接する

鋼付け

鋼を本体に鍛接する

火造り

決められた形にづくる

鋼付け

鋼を本体に鍛接する

研磨

肌をきれいにする

焼き入れ

鋼の硬度を上げる

研ぎ

刃を出す

釿の各部名称
釿の各部名称を示した図
釿の製造工程
釿の製造手順を示した図

存続の危機と後継者

 昭和2年には組合に加入していた人だけで117人もいた鍛冶屋は次々と廃業し、与板の鍛冶屋は約10軒で、伝統工芸士の資格をもつ職人は4人になってしまいました。
 現在後継者となるべく、地域おこし協力隊の制度を利用して2017年から中野鉋製作所に島田さんが、長岡市の伝統工芸後継者育成支援事業補助金を利用して2020年から水野鉋製作所似鳥が弟子として修業しています。

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弟子:島田の写真
島田さん
弟子・似鳥(左)と師匠・水野(右)

修行の記録

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